京都駅の東側には、被差別部落である崇仁地区があります。日本で最初に人権宣言を行った水平社が創設された場所でもあります。その崇仁地区に京都市立芸術大学や銅駝美術工芸高等学校の移転が決まりました。それによって、崇仁保育所の移転が決定されたり、「地域活性化」という名目のもと「崇仁新町」という屋台村が開設されるなど、崇仁は今まさに変化の渦中にあります。

先日、久しぶりに崇仁地区を訪れました。「崇仁新町」は芸大が移転するまで2年半限定で開設されている屋台風の店舗です。

新聞等では「多くの人でにぎわっている」と報道されていましたが、私が訪れた日時が平日の昼間だったせいか閉まっている店舗もあり、なんとなく閑散とした印象をうけました。

「崇仁新町」は市営住宅のすぐ隣に開設されていました。近隣の方の話によると早朝には、ごみを狙うカラスが大群で集まってしまっているとのことでした。

他にも、芸大移転のことでお話を伺うと、芸大が開校されても、その食堂などで地域住民が雇用してもらえるというわけではないそうです。また、新しい市営住宅に移らず、違うところへ引っ越してゆかれる方もあり、地域から住民が出て行ってしまっている状況を気にかけられていました。新たな状況に対しては、期待よりも不安の方が大きいとお話しされていました。近隣の方の率直なお話から、芸大の移転が本当に「地域の活性化」に繋がっているのかどうか、疑問に思いました。やはりメディアを通して伝えられることは、きれいに体裁を整えられたものでしかないのだと感じました。現地を実際に訪れないとわからないことは多いです。

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